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自分が見た池田
○街
池田に住み、約30年あまりこの町は、変わっていないなぁと思います。
僕が、3歳ぐらいのときは、(父の実家が池田なのでよく遊びに来ていた、小学校3年で寝屋川から池田に転校してくる)まだ舗装されていない道が、たくさんあった。
176号より北は結構舗装されない道がたくさんあったと記憶している小学校3年生でも猪名川の鶯の森で泳げた。それから、少し川は汚れたみたいだが最近ボランティアなどの働きかけなどによりずいぶんきれいになってきた。
いつも山が見える、四季折々の季節が、いつも感じられる街である。
僕なんかは、「今日寒いな」と思えば、五月山をみると雪の化粧をしているときがある。きれいだ などと感じられる。毎日やはり山を見ている。
池田は緩やかな南斜面で街全体が、いつも光って見えます。
なぜかというと斜面にいつもちょうどいい太陽の光線があたりすごく明るい街なのです。これは、住んでいる人は、意識は、していないことでしょう。
僕も他から移り住んできたお客様に言われて初めて気ずきました
そのお客さんは、池田が、気に入り今もすんでおられますだから、僕の友達なんかもやはり池田を離れようとしません。 無意識に気持ちいい街です。
それと、僕もそうでしたが、空気が、いいです。僕の場合こちらにきてから鼻炎が、治りました。池田市の北は全部山なのです。当然のことでしょうね。五月山から降りる風
しかもマイナスイオンたっぷりの風が、池田市に降り注いでいるのですから。
○人
もともと城下町であり池田城南なんかも存在する歴史ある街でありますが
商売に関しては、昔から下手だったようです。
池田の酒が灘の酒に負けた理由は
どちらも酒を大阪まで船で運んでいたそうです。
灘の酒屋は大阪までの途中で船頭が飲む酒を別に積んで行き船頭は、自由に飲ました。
池田の酒屋は、船頭の飲む酒を積み込まず働かせた。
だから、池田の酒は、灘に負けたということを聞いたことがあります。
また、能勢電鉄ははじめ池田から北進したかったみたいです。阪急の初めての分譲住宅室町に阪急の社長も住んでいたらしいです。
だが、これをしようとしたときに池田の商店街が大反対しつ潰れたらしいです。
今は、川西から能勢電鉄は北進しています。
また、阪急百貨店 川西店は計画では、池田に持ってきたかったみたいです。
これも、池田の商店街が大反対してつぶれました。
今は、池田の商店街が、ずいぶん衰退し川西が、躍進しております池田市民にとっては、残念なことです。
だから商売はへたくそです。
そして、閉鎖的です。
あえて、愛情をもって書きました。
下町文化のようなものは、ない以前は、寝屋川であったので下町である。下町にあるような泥臭さが、ない。
下町人情はないが、村社会のいいところが残っている街です。文化の保存にも積極的でそれをコミニュにケーションツールにうまく使っています。がんがらまつりなど・・
上品ではありますが、熱さを感じることが、たまにあります。
こんなコミニュケーションをたくさん作っていけば、本当の安全な街ができると思います。
警察官の人に家をご紹介したとき昔の池田署は箕面署と合同でありました
「最後に引退前に楽させてあげようといって」この平和な池田署に配属させたほど治安のいい街だったそうです。
今も治安はいいと思いますが、実際どこで犯罪が、起きるかわかりません。
現在、青年会議所では、青パトロールで午後5時からパトロールしております。
平和な街 作りたいですね。(詳しくは HPアドレス     )
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